江の島道(その3)
石上神社からしばらく行くと石上保育園があり、そのあたりで道が細くなっている。きっとこれが旧道の道幅なのだろう。
さらに直進すると右に分かれる三叉路にでる。何の表示もないのでわかりづらいが右のわき道に入り二十数メートル直進すると右手に「石上の地蔵尊」(宮沢地蔵)がある。片瀬川は以前この辺りまで大きく西に迂回しており、石上の渡しもこの付近にあったので、川の守りとされていた。渡船場の北にあり、地蔵尊なのに大明神と呼び多くの人が参詣したと云われています。今は住宅地の個人のお宅の一角にこのお地蔵さまは大切に祀られている。
江の島道に戻り、少しばかり直進すると道が左に大きく曲がっている。その曲がり角に大源太公園があり、道に面して本日4基目の江の島弁財天道標がある。今年の3月に整備されたばかりでとっても立派な文化財になっている。藤沢市によると「片瀬市民センター構内にあった指定重要文化財である”江の島弁財天道標”1基を、旧江の島道沿いにある大源太公園へ移設しました。」とのお知らせがHP上にあった。
国道467号線にぶつかり、信号を直進すると境川にかかる上山本橋にでる。昔は舟をつないで上に板を置いた船橋であり、また、船渡し場としても記録が残っているそうだ。
上流側
今では道路の一部のようになっているが、旧蹟の馬喰(うまくら)橋の表示が道路左側に現れた。
この橋のいわれ
この馬喰橋から新屋敷橋あたりは、江戸時代には河岸(かし)と呼ばれる船着場で片瀬湊(浦)があった。江の島西浦に停泊する大きな船との間を往復し藤沢地区の廻船の玄関口で、年貢米など物流の拠点として大変賑わったと言われている。藤沢から三浦、神奈川、江戸へ年貢米や小麦、大豆、木材、味噌を積み出し、全国の特産地からは塩、酒、肥料、小間物が陸揚された。酒が外から持ち込まれたのは藤沢市は水が良くなく、酒の醸造に適していなかったことが理由らしい。